2015年2月27日金曜日

2月27日

こうして彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ[2サムエル6:6-7]

ダビデが王とされるまで、神の箱はペリシテ人の手の内に捕らわれていました。そのときは、箱を警護するウザはいなかったのです。それなのに、箱は護られていました。思い出してみてください。ある場所から他の場所へ運ばれるときも、その力が弱められることは決してありませんでした。ウザにも、他のイスラエル人にも護られていなかったのに、ペリシテ人は手を出すことができませんでした。

しかし、今、神自身の民の中に、この箱が戻ってきました。そうなると、誰か支える人が必要となるのでしょうか?ここにウザの罪が見られます。箱は敵の中にあっても自分自身を守ることができたのです。主御自身の民に属する人に、護ってもらう必要がどこにあるでしょうか?思い出してください。神は箱をレビ人にかついで欲しかったのです。しかし、イスラエルの人々はそれをそれを牛車に乗せました。仮に墜ちたとしても、それは箱自体の問題なのではないでしょうか。人間が手を伸ばせば、どのような理由であろうと、神の証しを滅ぼすことになります。ですから、神はウザに罰を下さずに許すことはできなかったのです。

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