2015年2月20日金曜日

2月20日

いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません[使徒20:22]

人間の体に感覚があるように、人間の霊にも感覚があります。霊の感覚は、『直感』と呼ばれています。それは、霊から直接来るものだからです。たとえば、あることをしようかどうか、考え込んでいるとします。それはとても合理的なことのように思え、気に入っており、実行に移すことに決めます。それでも、私たちの中にどこか、重く、息詰るような言葉にできない感覚があり、それが心で考えた何か、私たちの気持ちが捕らえた何か、私たちの意志が決定した何かを押しとどめようとします。決してそれを行ってはならないと語っているように思えます。これが本能による制限です。

反対の例を取り上げて見ましょう。時には、まったく理屈に合わず、私たちの喜ぶものと反対で、私たちの意志とまったく逆行するものもあります。しかし、理解できない理由で、私たちの中にそれを実行させようとする強い気持ち、欲求、それを推し進める何かが生まれます。それを実行したとき、内側で幸せな気持ちになります。これが直感による強要です。

0 件のコメント:

コメントを投稿