2015年2月18日水曜日

2月18日

そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた[マルコ14:19]

もしも、パンの塊が主の手の中になければ、主には祝福することができません。祝福された後で、砕かれる(裂かれる)必要があります。人々は祝福をかくも受けたがるのに、砕かれることは忌み嫌います。もし、パンを裂かなければ5千人の飢えを満たすこともできなかったのではないでしょうか。また、もしパンが主の手に渡らなかったら、どうして主はパンを裂くことができたでしょう?主は、いつでも私たちが身を捧げたことを真摯に受け止め、私たちを砕き始めます。身を捧げると、時には、何か普通ではないことが起こります。愛する誰かを失うとか、財産を亡くするとかいったことです。これはあなたが砕かれることの表れです。自分のすべてを捧げるまで、砕かれることはないからです。

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