2015年2月1日日曜日

2月1日

では、律法とは何でしょうか。それは…違反を示すためにつけ加えられたもので…[ガラテヤ3:19]

神が律法をお与えになったのは、人間にそれを守らせるためでなく、むしろ、人間にはそれをとても守れないことを悟らせるためであったことを知るべきです。神は既に人間が罪を犯したことを知っています。しかし、人間の方は自分が罪を犯したことを知りません。だからこそ、神は律法を与え、これによって人間が自分のことを知り、自分には律法は守れないことを理解させたのです。当然、私たちの主はこのことを全て知っています。考えても理解できないことですが、神の子がこの世に来られたのは人々に律法を守ることを教えるためであり、その律法とは人間の力ではとても守ることはできないもので、それ自体はそむきの罪を教えるためにつけ加えられたものでした。律法には人間が罪を犯すことを止めることはできないなら、神の子はできないことをしなさいと、命じるために来られたのでしょうか?神は、その御子を人間を救うために送られたのですから、御子は、救われるために人間が律法を守らなければならないとは、お考えにならないのです。

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