主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった[ヨシュア3:17]
川の底は死の場所です。そこに心地よいものは何もなく、安らぎもありません。休むことも、座ることも、寝そべることもできず、立っているしかありません。私が自分の短気な性格のままに生きるなら、キリストは他の人の中に生きることはできません。しかし、私が川底に立てば、他の人々がヨルダン川を渡って、勝利に至ることができます。死が私の中に働き、いのちが他の人の中に働きます。私が死に従う中で、いのちが他の誰かの中で働き、その人を神に従わせます。キリストの死が、私たちの中で、そのいのちに息吹を与えます。死がなければ、いのちもありません。
川底で箱をかつぐのは、たいへんに辛い仕事で、大きな苦難に満ちていました。少しでも気を抜けば、聖なる神が彼らを滅ぼしてしまいます。彼らはそこに立ち、イスラエルの子供たちがひとりずつ通ってゆくのを見つめていました。こうして彼らは最後まで残されました。主よ、他の者が生きられるように私を死なせてください。私たちも、こう祈ることができますように。
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