2015年10月29日木曜日

10月29日

モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」[出エジプト記3:13]

このとき、既にモーセは神によって変えられていました。彼は何かをみなすことも、想像することもしませんでした。彼は自分から表に立つことを、あえてしませんでした。この故にこそ、彼は主にこのように尋ねたのです。彼は事実を学んだのです。それは後に主ご自身が語られるのと、ほとんど同じ事実です。『わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです』(ヨハネ12:49,50)。私たちの言葉に、神による抑制が欠けていることがよくあります。モーセは、言葉でさえも、主の命令がなければ、口に出すことはできないことを、理解するようになりました。

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