ひとりの神の人が、主の命令によって、ユダからベテルにやって来た。ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。[第一列王記13:1,11]
ベテルに住んでいたこの年老いた預言者は、かつては神に用いられた者でしたが、この時は役に立たなくなっていました。神は、ヤロブアムがかつてベテルで犯した罪の事で警告を与えたかったのですが、そのために、この年老いた預言者を用いて語らせることはしませんでした。
『神の人』という言い方は、その人が神との交わりを持つことを示しています。交わりは神からの光の基です。交わりが失われたら、その瞬間に光も消えます。この年老いた預言者は、かつては本当の預言者であり、霊的な歴史を持っていました。しかし、このときには神との交わりを失っていました。神がこの者を用いられなくなった以上、この人はただの古き預言者となりました。なんと、悲しいことでしょう。このことを考えて、キリスト者としての歩みにおける、きわめて重要な問題に注意を向けましょう。それは、神に切り捨てられないためにはどうすべきか、拒絶され、用いられなくなることを避けるにはどうすればよいかという点です。主の前に新鮮な気持ちでいることは、用いられ続けるために、もっとも大切な習慣です。
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