2015年10月18日日曜日

10月18日

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました[ローマ3:24,25]

キリストがこの世界に来られるまで、人間はふたつの大きなものを失っていました。ひとつはアダムが罪を犯しために失われたものであり、もうひとつは、私たちが神のおきてを守る力がないために失われました。死と罪に支配されている限り、私たちは神から離れ、その臨在を喜ぶことはできません。私たちは愚かになり、神を知ることはありません。私たちに霊的ないのちはなく、神の御心を行う力もありません。ああ、アダムにおいて、また法の下で、私たちに誇れるものは何一つなく、泣き叫ぶことしかできません。『私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの罪と死から、私を救い出してくれるのでしょうか。』罪と死の問題を解決する手立てはどこにもないのでしょうか?実は、それがあるのです。ご自身の血を流すことによって、主イエス様がふたつの問題を解決してくださいました。主の流された血潮のおかげで、私たちは死ぬ必要もなく、罪は清められているのです。

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