敬虔のために自分を鍛練しなさい[1テモテ4:7]
キリスト者の中には、頑迷さを敬虔と勘違いしている人がいます。彼らは自分自身を偽っているのです。ある兄弟がこういいました。彼が出会った他の兄弟が、ひとこと、ふたこと、言葉を発するごとに、頭を地面に向かって下げたり、また、天に向かって上げたりしていました。彼は、この兄弟が敬虔さを装っていることに気づきました。彼は心からこう叫んでやりたくなったそうです、『兄弟、偽るのはやめなさい!』私たちは、いのちとは何であるかを知らなくてはなりません。それは、自然に流れるものです。こんな頑迷さを持つ兄弟であっては、御霊も神であっても、近づくことはできないでしょう。ですから、敬虔であろうと試みるなら、いつも、新鮮で生き生きとしていなければなりません。私たちの言葉と心構えを通して、ご自分を現されるのは神なのですから。
2015年10月10日土曜日
2015年10月9日金曜日
10月9日
主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった[ヨシュア3:17]
川の底は死の場所です。そこに心地よいものは何もなく、安らぎもありません。休むことも、座ることも、寝そべることもできず、立っているしかありません。私が自分の短気な性格のままに生きるなら、キリストは他の人の中に生きることはできません。しかし、私が川底に立てば、他の人々がヨルダン川を渡って、勝利に至ることができます。死が私の中に働き、いのちが他の人の中に働きます。私が死に従う中で、いのちが他の誰かの中で働き、その人を神に従わせます。キリストの死が、私たちの中で、そのいのちに息吹を与えます。死がなければ、いのちもありません。
川底で箱をかつぐのは、たいへんに辛い仕事で、大きな苦難に満ちていました。少しでも気を抜けば、聖なる神が彼らを滅ぼしてしまいます。彼らはそこに立ち、イスラエルの子供たちがひとりずつ通ってゆくのを見つめていました。こうして彼らは最後まで残されました。主よ、他の者が生きられるように私を死なせてください。私たちも、こう祈ることができますように。
川の底は死の場所です。そこに心地よいものは何もなく、安らぎもありません。休むことも、座ることも、寝そべることもできず、立っているしかありません。私が自分の短気な性格のままに生きるなら、キリストは他の人の中に生きることはできません。しかし、私が川底に立てば、他の人々がヨルダン川を渡って、勝利に至ることができます。死が私の中に働き、いのちが他の人の中に働きます。私が死に従う中で、いのちが他の誰かの中で働き、その人を神に従わせます。キリストの死が、私たちの中で、そのいのちに息吹を与えます。死がなければ、いのちもありません。
川底で箱をかつぐのは、たいへんに辛い仕事で、大きな苦難に満ちていました。少しでも気を抜けば、聖なる神が彼らを滅ぼしてしまいます。彼らはそこに立ち、イスラエルの子供たちがひとりずつ通ってゆくのを見つめていました。こうして彼らは最後まで残されました。主よ、他の者が生きられるように私を死なせてください。私たちも、こう祈ることができますように。
2015年10月8日木曜日
10月8日
ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い…[マタイ24:48]
このしもべが失敗した原因は、何だったのでしょう?『主人はまだまだ帰るまい。』この男は間違いなく主の再臨を信じていたのですが、ただ、そんなに早くは来ないだろうと思い込んでしまったのです。主がすぐに戻られることを信じないものは、誰であれ、悪いしもべです。この悪いしもべの過ちは何であると主は言われるのでしょう?それはただ、彼が口では主は間違いなく来られるといいながら、心の中では主はもっと遅くなるだろうと思っていることです。こんな人の足元は、実に心もとないものです。主がすぐに来られることを知らなければ、人は気を抜かずにいられるでしょうか?私たちは主がすぐに戻られる時に、また、その日を待ち望んでいなければいけないのです。
このしもべが失敗した原因は、何だったのでしょう?『主人はまだまだ帰るまい。』この男は間違いなく主の再臨を信じていたのですが、ただ、そんなに早くは来ないだろうと思い込んでしまったのです。主がすぐに戻られることを信じないものは、誰であれ、悪いしもべです。この悪いしもべの過ちは何であると主は言われるのでしょう?それはただ、彼が口では主は間違いなく来られるといいながら、心の中では主はもっと遅くなるだろうと思っていることです。こんな人の足元は、実に心もとないものです。主がすぐに来られることを知らなければ、人は気を抜かずにいられるでしょうか?私たちは主がすぐに戻られる時に、また、その日を待ち望んでいなければいけないのです。
2015年10月7日水曜日
10月7日
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます[マタイ16:19]
主が、天の御国のかぎをペテロにくださったことは、この使途が扉を開ける使命をはっきりと担ったことを示しています。これは、初めにユダヤ人に、次いで異邦人に対してのことです。この天の御国のかぎがペテロの手の内にあるのですから、彼は自分自身も天の御国に既に入っているのでなくてはなりません。鍵はペテロの手の中にあり、それを守るように言い渡されています。もし、たとえば、門を開ける鍵が、私の手にゆだねられたなら、この集まりに早く来てしまった人は、私が到着して鍵で開けるまで、鉄の門の外で待っていなければなりません。わたしが初めに入って、初めて、他の人たちが入ることができるのです。鍵を持っていない人のほうが先に入るということは絶対にあり得ません。したがって、ペテロが天の御国の領地に一番に入る者であることは、これ以上ないほど明らかです。
主が、天の御国のかぎをペテロにくださったことは、この使途が扉を開ける使命をはっきりと担ったことを示しています。これは、初めにユダヤ人に、次いで異邦人に対してのことです。この天の御国のかぎがペテロの手の内にあるのですから、彼は自分自身も天の御国に既に入っているのでなくてはなりません。鍵はペテロの手の中にあり、それを守るように言い渡されています。もし、たとえば、門を開ける鍵が、私の手にゆだねられたなら、この集まりに早く来てしまった人は、私が到着して鍵で開けるまで、鉄の門の外で待っていなければなりません。わたしが初めに入って、初めて、他の人たちが入ることができるのです。鍵を持っていない人のほうが先に入るということは絶対にあり得ません。したがって、ペテロが天の御国の領地に一番に入る者であることは、これ以上ないほど明らかです。
2015年10月6日火曜日
10月6日
目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません[1ヨハネ4:20]
これは多くの人がよく知っているみ言葉です。しかし、注意してください。この節が語っているのは、家族としての兄弟を愛することではなく、キリストにある兄弟を愛すべきであることです。他の人たちの態度や言動がひどくて、とても愛することなどできないことがよくあります。それでも、神の愛があなたの中にあるなら、その人たちを愛することができるはずです。自分の好きな兄弟たちを愛するのではなく、兄弟たちを愛すること、これに尽きます!愛すべき兄弟たちを愛するのではなく、すべての兄弟たちを愛するのです。兄弟を愛することができないなら、それは、父の愛があなたの中にはないことを証明しています。あなたに神の愛があるなら、兄弟たちを愛さずにはいられないはずです。
これは多くの人がよく知っているみ言葉です。しかし、注意してください。この節が語っているのは、家族としての兄弟を愛することではなく、キリストにある兄弟を愛すべきであることです。他の人たちの態度や言動がひどくて、とても愛することなどできないことがよくあります。それでも、神の愛があなたの中にあるなら、その人たちを愛することができるはずです。自分の好きな兄弟たちを愛するのではなく、兄弟たちを愛すること、これに尽きます!愛すべき兄弟たちを愛するのではなく、すべての兄弟たちを愛するのです。兄弟を愛することができないなら、それは、父の愛があなたの中にはないことを証明しています。あなたに神の愛があるなら、兄弟たちを愛さずにはいられないはずです。
2015年10月5日月曜日
10月5日
だから、こう祈りなさい。天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように[マタイ6:9,10]
『だから、こう祈りなさい。』この言葉の後に来るものは、祈りのお手本とか、礼拝の作法として用いることを意図されたのではなく、私たちが見習うべき例として言われたのです。弟子たちは、このように祈ることを学ぶことです。
今日のキリスト者は、とてつもなく責任を負っています。それは、王国を祈りを通して、この地上に導きいれることです。サタンが今もこの地上にいるのはなぜなのでしょう?キリストに属する者が、キリストの勝利をまだ体験していないからです。『御国が来ますように。』それは既に私たちの中に来ていることは確かなのですが、まだ姿を見せていないのは、今もなお、信者たちの祈りを待ち続けているからです。
『だから、こう祈りなさい。』この言葉の後に来るものは、祈りのお手本とか、礼拝の作法として用いることを意図されたのではなく、私たちが見習うべき例として言われたのです。弟子たちは、このように祈ることを学ぶことです。
今日のキリスト者は、とてつもなく責任を負っています。それは、王国を祈りを通して、この地上に導きいれることです。サタンが今もこの地上にいるのはなぜなのでしょう?キリストに属する者が、キリストの勝利をまだ体験していないからです。『御国が来ますように。』それは既に私たちの中に来ていることは確かなのですが、まだ姿を見せていないのは、今もなお、信者たちの祈りを待ち続けているからです。
2015年10月4日日曜日
10月4日
なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。イエスは言われた。あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません[マタイ17:19,20]
『あなたがたの信仰が薄いからです。』または彼らの不信心のためです。ここが注意しなければいけないところですが、このような不信仰は、信者から来るものです。したがって、主イエス様を救い主として信じていないと言う意味ではありません。『からし種』のことを話されたのは、たとえとして使われたのですから、山も何かのたとえに違いありません。後者は、最終的で深く根を降ろした困難のことを語っています。山はもっとも安定したものではありますが、信仰は多くの山、多くの困難を動かして来ました。動き回る星と異なり、山はその場所にしっかりと留まっているものです。不信仰な子供や失業と言った問題は、山に似ています。信仰さえあれば、そのような山を動かすことができるし、どのような種類の困難にも対処できます。それなのになぜ、まず他の人に助けを求めるのですか?
『あなたがたの信仰が薄いからです。』または彼らの不信心のためです。ここが注意しなければいけないところですが、このような不信仰は、信者から来るものです。したがって、主イエス様を救い主として信じていないと言う意味ではありません。『からし種』のことを話されたのは、たとえとして使われたのですから、山も何かのたとえに違いありません。後者は、最終的で深く根を降ろした困難のことを語っています。山はもっとも安定したものではありますが、信仰は多くの山、多くの困難を動かして来ました。動き回る星と異なり、山はその場所にしっかりと留まっているものです。不信仰な子供や失業と言った問題は、山に似ています。信仰さえあれば、そのような山を動かすことができるし、どのような種類の困難にも対処できます。それなのになぜ、まず他の人に助けを求めるのですか?
2015年10月3日土曜日
10月3日
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました[エペソ1:19,20]
パウロが生きていた頃、エペソの信徒たちのために、彼らが、神が賜った力のすばらしさ、偉大さに気付くことができるようにと祈りました。もし今、自分の中にある力とキリストの中にある力が、同じひとつのものであると信じられなければ、それを理解できるように祈らなければなりません。私たちの中に現された力が、キリストの中に現された力よりも弱ければ、まだ分かっていないことがたくさんあることを認めざるを得ません。へりくだって神の前に告白し、理解させてくださいと祈りましょう。信じる者の中で神が働く力は、神がキリストの中で働かれた力の強さに一致するほどのものです。ハレルヤ!これが霊的な真実です。本当にこの事実を理解し、受け入れることができるよう、神に目を開いてくださいとお願いしましょう。神に、外からもっと大きな力を注いでくださいと、お願いするのではありません。ただ、私たちが既に自分の中にあるものに気づき、見つけられますようにと、頼むのです。
パウロが生きていた頃、エペソの信徒たちのために、彼らが、神が賜った力のすばらしさ、偉大さに気付くことができるようにと祈りました。もし今、自分の中にある力とキリストの中にある力が、同じひとつのものであると信じられなければ、それを理解できるように祈らなければなりません。私たちの中に現された力が、キリストの中に現された力よりも弱ければ、まだ分かっていないことがたくさんあることを認めざるを得ません。へりくだって神の前に告白し、理解させてくださいと祈りましょう。信じる者の中で神が働く力は、神がキリストの中で働かれた力の強さに一致するほどのものです。ハレルヤ!これが霊的な真実です。本当にこの事実を理解し、受け入れることができるよう、神に目を開いてくださいとお願いしましょう。神に、外からもっと大きな力を注いでくださいと、お願いするのではありません。ただ、私たちが既に自分の中にあるものに気づき、見つけられますようにと、頼むのです。
2015年10月2日金曜日
10月2日
ひとりの神の人が、主の命令によって、ユダからベテルにやって来た。ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。[第一列王記13:1,11]
ベテルに住んでいたこの年老いた預言者は、かつては神に用いられた者でしたが、この時は役に立たなくなっていました。神は、ヤロブアムがかつてベテルで犯した罪の事で警告を与えたかったのですが、そのために、この年老いた預言者を用いて語らせることはしませんでした。
『神の人』という言い方は、その人が神との交わりを持つことを示しています。交わりは神からの光の基です。交わりが失われたら、その瞬間に光も消えます。この年老いた預言者は、かつては本当の預言者であり、霊的な歴史を持っていました。しかし、このときには神との交わりを失っていました。神がこの者を用いられなくなった以上、この人はただの古き預言者となりました。なんと、悲しいことでしょう。このことを考えて、キリスト者としての歩みにおける、きわめて重要な問題に注意を向けましょう。それは、神に切り捨てられないためにはどうすべきか、拒絶され、用いられなくなることを避けるにはどうすればよいかという点です。主の前に新鮮な気持ちでいることは、用いられ続けるために、もっとも大切な習慣です。
ベテルに住んでいたこの年老いた預言者は、かつては神に用いられた者でしたが、この時は役に立たなくなっていました。神は、ヤロブアムがかつてベテルで犯した罪の事で警告を与えたかったのですが、そのために、この年老いた預言者を用いて語らせることはしませんでした。
『神の人』という言い方は、その人が神との交わりを持つことを示しています。交わりは神からの光の基です。交わりが失われたら、その瞬間に光も消えます。この年老いた預言者は、かつては本当の預言者であり、霊的な歴史を持っていました。しかし、このときには神との交わりを失っていました。神がこの者を用いられなくなった以上、この人はただの古き預言者となりました。なんと、悲しいことでしょう。このことを考えて、キリスト者としての歩みにおける、きわめて重要な問題に注意を向けましょう。それは、神に切り捨てられないためにはどうすべきか、拒絶され、用いられなくなることを避けるにはどうすればよいかという点です。主の前に新鮮な気持ちでいることは、用いられ続けるために、もっとも大切な習慣です。
2015年10月1日木曜日
10月1日
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました[エペソ2:6]
主を信じ始めた頃、私は、天の所に座って、日々、罪を足の下に踏み潰すことができたら、どれほど幸いだろうと夢見ながら、何時間も過ごしたものでした。しかし、紙飛行機を飛ばしているのと同じで、いつまでも、上に留まっていることはできず、私は、すぐに墜ちてしまいました。私はひたすら祈り続け、自分が何時の日か天の所にしっかりと腰を降ろして、上昇の新記録を立てることを願い続けていました。ある日、エペソ書2章6節を読み、理解し始めました。キリスト者がキリストともに上げられる時、その者は天の所にキリストともに座らされるのです。その人はキリストとそこに座りますが、それは自分の努力のおかげでも、祈りのおかげでもなく、キリスト御自身が天に上られたとき、ともに天の所に引き上げてくれたからです。キリスト御自身が天の所におられるからこそ、私も天の所にいるのです。
主を信じ始めた頃、私は、天の所に座って、日々、罪を足の下に踏み潰すことができたら、どれほど幸いだろうと夢見ながら、何時間も過ごしたものでした。しかし、紙飛行機を飛ばしているのと同じで、いつまでも、上に留まっていることはできず、私は、すぐに墜ちてしまいました。私はひたすら祈り続け、自分が何時の日か天の所にしっかりと腰を降ろして、上昇の新記録を立てることを願い続けていました。ある日、エペソ書2章6節を読み、理解し始めました。キリスト者がキリストともに上げられる時、その者は天の所にキリストともに座らされるのです。その人はキリストとそこに座りますが、それは自分の努力のおかげでも、祈りのおかげでもなく、キリスト御自身が天に上られたとき、ともに天の所に引き上げてくれたからです。キリスト御自身が天の所におられるからこそ、私も天の所にいるのです。
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