人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです[ローマ3:28]
今日の教会において、律法に対して、相反する二つの考え方があります。(1) 人は恵みによって救われるのであって、律法を守ることによってではない。しかし、聖潔を成すためには、律法を守らなければならない。(2) 確かに、人は恵みによって救われるのであって、律法を守ることによってではない。したがって、救われた後ではもはや律法を守る必要はないが、恵みの戒めは守るべきである。後者の考え方が正しいのです。ローマ人への手紙の要旨は、どんな罪人も律法のはたらきによって義とされることはないということです。これに対し、ガラテヤ人への手紙は、救われた人も、決して律法の行いによって聖潔に進むことはできないと語っています。これら二つの手紙は、人が義と認められることも、聖潔に進むことも、決して律法の働きによるものではないことを、十分に証明しています。
2015年4月30日木曜日
2015年4月29日水曜日
4月29日
ナザレ人イエス…神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです[使徒2:22,24]
復活を思い起こすたびに、私たちは、その尊さを感じます。復活とは、死がもはやその力を持っていないことを意味します。死はこれを覆い隠すことができません。
これまで、死に入った後で、再び生き返った人間は誰もいません。人は、どんな年代でも死ぬことがあるし、人類のあらゆる時代を通して、人は必ず死にました。一度死んだ人は、死に捕らえられ、帰ってくることはありませんでした。しかし、死の世界から戻って男が一人だけいます。その人こそ、主イエス·キリストです。『私はよみがえりです』、とイエスは言われました。そして、私は『いのちです』とも(ヨハネ11:25)。この人は命ですから、この人を信じるものは誰でも、決して死ぬことはありません。この人はよみがえりですから、主を信じるものは皆、死んでも生きるのです。
復活を思い起こすたびに、私たちは、その尊さを感じます。復活とは、死がもはやその力を持っていないことを意味します。死はこれを覆い隠すことができません。
これまで、死に入った後で、再び生き返った人間は誰もいません。人は、どんな年代でも死ぬことがあるし、人類のあらゆる時代を通して、人は必ず死にました。一度死んだ人は、死に捕らえられ、帰ってくることはありませんでした。しかし、死の世界から戻って男が一人だけいます。その人こそ、主イエス·キリストです。『私はよみがえりです』、とイエスは言われました。そして、私は『いのちです』とも(ヨハネ11:25)。この人は命ですから、この人を信じるものは誰でも、決して死ぬことはありません。この人はよみがえりですから、主を信じるものは皆、死んでも生きるのです。
2015年4月28日火曜日
4月28日
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた[マタイ4:1]
アダムからキリストの間に約4,000年のときがありました。この40世紀の間、誰も自分が神の子であると主張することはできませんでした。しかし、今は天からこの声が聞こえています、『これは私の愛する子である』と。これを聞いて、サタンは彼に対して戦争をしかけてきます。実際のところ、サタンは、神の子が、思い通りに働けないように挑んでいます。罪、世界、あらゆる状況が、神の子供たちと対立しているように見えます。それでも、キリストは私たちの先駆者です。
大きな誘惑を乗り越えることによって、イエスは神の子であることをご自身で証明しました。それでは、主に属する私たちは、他とは違う者であることができるでしょうか?キリストが、第一にしなければならない仕事は、彼自身が神の子であることを証明することです。このため、教会は、キリストを神の子として告白することから始まります。サタンが、あらゆる力を持ってしても振り払うことができないのは、神の御子です。私たちがこの証しに立つなら、自分たちも打ち勝つはずです。
アダムからキリストの間に約4,000年のときがありました。この40世紀の間、誰も自分が神の子であると主張することはできませんでした。しかし、今は天からこの声が聞こえています、『これは私の愛する子である』と。これを聞いて、サタンは彼に対して戦争をしかけてきます。実際のところ、サタンは、神の子が、思い通りに働けないように挑んでいます。罪、世界、あらゆる状況が、神の子供たちと対立しているように見えます。それでも、キリストは私たちの先駆者です。
大きな誘惑を乗り越えることによって、イエスは神の子であることをご自身で証明しました。それでは、主に属する私たちは、他とは違う者であることができるでしょうか?キリストが、第一にしなければならない仕事は、彼自身が神の子であることを証明することです。このため、教会は、キリストを神の子として告白することから始まります。サタンが、あらゆる力を持ってしても振り払うことができないのは、神の御子です。私たちがこの証しに立つなら、自分たちも打ち勝つはずです。
2015年4月27日月曜日
4月27日
確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています[1コリント12:14]
キリスト者として、私たちは、霊的なものを賛美し、求めるべきですが、しかしながら、人を押しのけるような主張をしたり、また、すこしでも嫉妬する気持ちを持ってはなりません。霊的なはたらきにおける個人の態度は以下のようであるべきです。私にできることは、他の人にもできて欲しい。また、自分にはできないことを、他の誰かにできて欲しい。私はもっと多くの働きをしたいけど、同じように、他の人もより多くの働きができたらと望む。自分は、はたらきにおいてひとつの器に過ぎないことを、はっきり認めることが必要である。それを独占してはいけない。はたらきとその結果が自分のものであるとは、決して考えないようにする。すべてを自分でやらなくていけないと考えたとしたら、まだ、御からだを捕らえていない。キリストのみからだを捕らえたら、その瞬間、私自身のはたらきも、他の人のはたらきも等しくかしらと御からだへの得となることがわかる。すべての栄光が主に、すべての祝福が教会にもたらされますように。
キリスト者として、私たちは、霊的なものを賛美し、求めるべきですが、しかしながら、人を押しのけるような主張をしたり、また、すこしでも嫉妬する気持ちを持ってはなりません。霊的なはたらきにおける個人の態度は以下のようであるべきです。私にできることは、他の人にもできて欲しい。また、自分にはできないことを、他の誰かにできて欲しい。私はもっと多くの働きをしたいけど、同じように、他の人もより多くの働きができたらと望む。自分は、はたらきにおいてひとつの器に過ぎないことを、はっきり認めることが必要である。それを独占してはいけない。はたらきとその結果が自分のものであるとは、決して考えないようにする。すべてを自分でやらなくていけないと考えたとしたら、まだ、御からだを捕らえていない。キリストのみからだを捕らえたら、その瞬間、私自身のはたらきも、他の人のはたらきも等しくかしらと御からだへの得となることがわかる。すべての栄光が主に、すべての祝福が教会にもたらされますように。
2015年4月26日日曜日
4月26日
また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています[マタイ10:30]
神は、もっとも微細な部分に目をとめます。だからこそ、神はもっとも偉大なのです。最大の力を持つのは、長い苦しみを経た者です。私たちの人生の中に、神の留意と心配を受けるに値しないほど、些細なことは何一つありません。天に数えられたあなたの頭の毛の数は、正確にあなたの頭の上にある毛の数です。これに関係した話ですが、ある未亡人が小さなアパートの上の階に引っ越してきました。彼女は、部屋に合う絨毯トを、神に願いました。すると、誰かが、その部屋の寸法にぴったりの絨毯を送ってくれましたが、それだけでなく、アイロン台と火掻き棒までが送られてきました。彼女は後でこう述べました、自分はこれら二つの物を頼むことを忘れていたけれども、神は忘れていませんでした。神が私たちの頭の毛さえも、みな数えているとは、このようなことです。
神は、もっとも微細な部分に目をとめます。だからこそ、神はもっとも偉大なのです。最大の力を持つのは、長い苦しみを経た者です。私たちの人生の中に、神の留意と心配を受けるに値しないほど、些細なことは何一つありません。天に数えられたあなたの頭の毛の数は、正確にあなたの頭の上にある毛の数です。これに関係した話ですが、ある未亡人が小さなアパートの上の階に引っ越してきました。彼女は、部屋に合う絨毯トを、神に願いました。すると、誰かが、その部屋の寸法にぴったりの絨毯を送ってくれましたが、それだけでなく、アイロン台と火掻き棒までが送られてきました。彼女は後でこう述べました、自分はこれら二つの物を頼むことを忘れていたけれども、神は忘れていませんでした。神が私たちの頭の毛さえも、みな数えているとは、このようなことです。
2015年4月25日土曜日
4月25日
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです[ヨハネ16:33]
勝利について考えているのですか?キリストの勝利こそが、あなたの大勝利です。あなたはこの世界に打ち勝ちたいですか?繰り返しますが、この世に打ち勝ったのはキリストです。また、あなたは、神がいつの日かあなたに何かをしてくれるはずと期待していますか?もう一度、言います。神はすでにキリストにおいて、あなたのためにすべてを行ったのです。したがって勝利は、今これからの出来事ではなく、キリストはすでに勝利しているのです。神の啓示によって、私たちが、キリストにおいて受けたものが何か、理解できますように。信じていなければ、何も受けることはできません。しかし、信じれば、すべてを受けることができます。キリストにあるものとは、勝利、義認、聖別、許し、そして、すべての霊的な祝福です。神は私たちにこれ以上のことはできません。私たちがキリストにあるなら、キリストのすべては既に、私たちのものです。キリストから何かを引き出すことで、私たちが富むのではなく、キリストに入ることによって、既に主の中にあるものが、私たちの内に流れ込むのです。
勝利について考えているのですか?キリストの勝利こそが、あなたの大勝利です。あなたはこの世界に打ち勝ちたいですか?繰り返しますが、この世に打ち勝ったのはキリストです。また、あなたは、神がいつの日かあなたに何かをしてくれるはずと期待していますか?もう一度、言います。神はすでにキリストにおいて、あなたのためにすべてを行ったのです。したがって勝利は、今これからの出来事ではなく、キリストはすでに勝利しているのです。神の啓示によって、私たちが、キリストにおいて受けたものが何か、理解できますように。信じていなければ、何も受けることはできません。しかし、信じれば、すべてを受けることができます。キリストにあるものとは、勝利、義認、聖別、許し、そして、すべての霊的な祝福です。神は私たちにこれ以上のことはできません。私たちがキリストにあるなら、キリストのすべては既に、私たちのものです。キリストから何かを引き出すことで、私たちが富むのではなく、キリストに入ることによって、既に主の中にあるものが、私たちの内に流れ込むのです。
2015年4月24日金曜日
4月24日
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました[1ペテロ2:21]
人間はイエスに恥辱を与えましたが、主はこれをものともしませんでした。神は主に十字架を与えましたが、主はこれに耐えました。主は、どれだけ人に誤解され、排斥され、告発され、仲間に裏切られ、また、非難されても、心を乱すことはありませんでした。それは、恥は大したものでなかったからではありません。主が味わった恥辱は、それまでどんな人間も経験したことがないほど酷いものでした。また、主の神としての性質のゆえ、侮辱を強く感じなかったわけでもありません。実際に、主の気持ちは、他のどんな人よりもはるかに鋭敏です。神が主に与えられた十字架は決して軽いものではありません。それでも、我らの主はそれに耐えるのです。主は、それを受け入れ、それに耐えるのです。そして、最後はどうなったでしょう?主は大勝利をもって目的を達し、『神の御座の右に着座され(ヘブル12:2)』、そして、主の栄光が現れる瞬間を待っておられます。
人間はイエスに恥辱を与えましたが、主はこれをものともしませんでした。神は主に十字架を与えましたが、主はこれに耐えました。主は、どれだけ人に誤解され、排斥され、告発され、仲間に裏切られ、また、非難されても、心を乱すことはありませんでした。それは、恥は大したものでなかったからではありません。主が味わった恥辱は、それまでどんな人間も経験したことがないほど酷いものでした。また、主の神としての性質のゆえ、侮辱を強く感じなかったわけでもありません。実際に、主の気持ちは、他のどんな人よりもはるかに鋭敏です。神が主に与えられた十字架は決して軽いものではありません。それでも、我らの主はそれに耐えるのです。主は、それを受け入れ、それに耐えるのです。そして、最後はどうなったでしょう?主は大勝利をもって目的を達し、『神の御座の右に着座され(ヘブル12:2)』、そして、主の栄光が現れる瞬間を待っておられます。
2015年4月23日木曜日
4月23日
神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません[1ヨハネ5:3]
かつて、何人かの姉妹が、従順であることは最も困難だったと語ってくれました。他の姉妹が言っていたことには、従うことは簡単なことに思われたが、実際にそれは、世界中の苦しみに耐えるようなものだったそうです。私はここではっきり言います。もしあなたが、自分の心を神に明け渡したことも、ひたむきな心で神に降伏したこともなく、また、自分にもっとも大切なものを放棄し、一番好きなものを否定したことがなければ、従順の道を歩こうと考えても、無駄なことです。こういったことをはっきりと経験しない限り、従順の道を歩くことは決してできないでしょう。
かつて、何人かの姉妹が、従順であることは最も困難だったと語ってくれました。他の姉妹が言っていたことには、従うことは簡単なことに思われたが、実際にそれは、世界中の苦しみに耐えるようなものだったそうです。私はここではっきり言います。もしあなたが、自分の心を神に明け渡したことも、ひたむきな心で神に降伏したこともなく、また、自分にもっとも大切なものを放棄し、一番好きなものを否定したことがなければ、従順の道を歩こうと考えても、無駄なことです。こういったことをはっきりと経験しない限り、従順の道を歩くことは決してできないでしょう。
2015年4月22日水曜日
4月22日
ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた[マタイ22:11-12]
東洋の国では、結婚式の衣装は招待客が準備するのではなく、招き主が用意します。結婚式の衣装とは、キリスト、すなわち、私たちの義の外套です。私たちは、キリストを着る必要があります(ローマ13:14、ガラテヤ3:27を参照)。神は、私たちに結婚式の衣服を提供してくれました。しかし、このたとえ話の男は、自分が十分良い上着を持っている(独善)と考えています。
貧しくとも、まったく問題ではありません。王は既に用意してくれているからです。誰であれ、自分には価値がないと考えていても、王は結婚式の衣装を備えてくれています。ただひとつ心配しなければいけないのは、古いものを脱いで、新しい物に着替える気持ちがない人のことだけです。
東洋の国では、結婚式の衣装は招待客が準備するのではなく、招き主が用意します。結婚式の衣装とは、キリスト、すなわち、私たちの義の外套です。私たちは、キリストを着る必要があります(ローマ13:14、ガラテヤ3:27を参照)。神は、私たちに結婚式の衣服を提供してくれました。しかし、このたとえ話の男は、自分が十分良い上着を持っている(独善)と考えています。
貧しくとも、まったく問題ではありません。王は既に用意してくれているからです。誰であれ、自分には価値がないと考えていても、王は結婚式の衣装を備えてくれています。ただひとつ心配しなければいけないのは、古いものを脱いで、新しい物に着替える気持ちがない人のことだけです。
2015年4月21日火曜日
4月21日
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる[ヨハネ7:38]
ここでいう『流れ出る』という言葉に特別な注意を払う必要があります。この言葉は、弁舌における話術、声のトーン、深層心理、雄弁さ、議論や教え方などを使うように勧めているわけではありません。こういった物は、時には助けになりますが、それ自体は、生ける水の川ではなく、また、生ける水を送り出す仕組みでもないのです。『流れ出る』ことは、最も自然な何かをさしています。それは人間の力を必要とせず、ただ下流へと流れていきます。
聖霊のいのちと力は、私たちの霊を通して自然に流れ出ていくものです。それがなければ、どれだけ情熱をこめて説教をしても、聴衆は受身でで聴いてしまいます。時には、彼らが熱心に聴いているように思え、また、理解して、感銘を受けているように思えるかもしれません。それでも、私たちの言葉は、口先から出る賞賛の言葉を引き出すだけで、聴衆に聞いたことを実行するいのちと力を与えることはないのです。私たちが、今日、神のいのちを伝える管となれますように。
ここでいう『流れ出る』という言葉に特別な注意を払う必要があります。この言葉は、弁舌における話術、声のトーン、深層心理、雄弁さ、議論や教え方などを使うように勧めているわけではありません。こういった物は、時には助けになりますが、それ自体は、生ける水の川ではなく、また、生ける水を送り出す仕組みでもないのです。『流れ出る』ことは、最も自然な何かをさしています。それは人間の力を必要とせず、ただ下流へと流れていきます。
聖霊のいのちと力は、私たちの霊を通して自然に流れ出ていくものです。それがなければ、どれだけ情熱をこめて説教をしても、聴衆は受身でで聴いてしまいます。時には、彼らが熱心に聴いているように思え、また、理解して、感銘を受けているように思えるかもしれません。それでも、私たちの言葉は、口先から出る賞賛の言葉を引き出すだけで、聴衆に聞いたことを実行するいのちと力を与えることはないのです。私たちが、今日、神のいのちを伝える管となれますように。
2015年4月20日月曜日
4月20日
それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」[ヘブル8:5]
神の教会を建て上げる御業には、あらかじめ定められた計画があります。ことの大小にかかわらず、神はご自身で手順を定めておられます。モーセは幕屋の設計については責任はなく、山で示された型どおりに作ることを託されただけでした。それと同じように、キリストのしもべの栄光は、神への奉仕において創意工夫を発揮することではなく、神の意思を理解して、それを注意深く実行することにあります。主のお考えを知り、それに応じて行動することこそが、キリストのしもべの栄光です。
長年にわたって主に仕えているある姉妹は、かつてこう言いました、『人間には神の仕事をするにあたって自由な裁量はありません』。モーセが幕屋を建てたときは、彼には意思の自由はなく、小さな釘一本、銀で作るか、金で作るか、決定することもできませんでした。ただ、主が命じられたとおりに、すべてのものを作ったのです。
神の教会を建て上げる御業には、あらかじめ定められた計画があります。ことの大小にかかわらず、神はご自身で手順を定めておられます。モーセは幕屋の設計については責任はなく、山で示された型どおりに作ることを託されただけでした。それと同じように、キリストのしもべの栄光は、神への奉仕において創意工夫を発揮することではなく、神の意思を理解して、それを注意深く実行することにあります。主のお考えを知り、それに応じて行動することこそが、キリストのしもべの栄光です。
長年にわたって主に仕えているある姉妹は、かつてこう言いました、『人間には神の仕事をするにあたって自由な裁量はありません』。モーセが幕屋を建てたときは、彼には意思の自由はなく、小さな釘一本、銀で作るか、金で作るか、決定することもできませんでした。ただ、主が命じられたとおりに、すべてのものを作ったのです。
2015年4月19日日曜日
4月19日
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます[マタイ24:14]
神はこの時代の終わりがすぐに来ることを喜んでいます。それによって、神の王国がもたらされるからです。しかし、神の子供たちには、成すべき義務があります。神とともに働いて、この時代を終わりへと導かなければなりません。祈りはそのひとつの方法です。しかし、証しもまた必要です。私たちは、すべて主イエスの『威厳』のために立ち上がりましょう、これまでにはなかったほどに。私たちは、これまでにないほど、主に『統治』されていることを証ししましょう。使徒たちのはたらきを自分で続けたければ、彼らが証ししたものを、私たちも証ししなければなりません。教会は、キリストの勝利、権威、そして王座を、どこまでも、忘れてしまったのでしょうか。臆することなく、『キリストだけがただ一人の王であり、サタンではない』と証しするものであれば誰でも、真に天の御国の福音を宣べ伝えているのです。
神はこの時代の終わりがすぐに来ることを喜んでいます。それによって、神の王国がもたらされるからです。しかし、神の子供たちには、成すべき義務があります。神とともに働いて、この時代を終わりへと導かなければなりません。祈りはそのひとつの方法です。しかし、証しもまた必要です。私たちは、すべて主イエスの『威厳』のために立ち上がりましょう、これまでにはなかったほどに。私たちは、これまでにないほど、主に『統治』されていることを証ししましょう。使徒たちのはたらきを自分で続けたければ、彼らが証ししたものを、私たちも証ししなければなりません。教会は、キリストの勝利、権威、そして王座を、どこまでも、忘れてしまったのでしょうか。臆することなく、『キリストだけがただ一人の王であり、サタンではない』と証しするものであれば誰でも、真に天の御国の福音を宣べ伝えているのです。
2015年4月18日土曜日
4月18日
すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」[マタイ14:28]
信者は、特別であること、そして、主にまず従うとという点でペテロを真似るべきです。『来なさい、と言われた(29節)』。主の言葉は約束です。主の約束がなければ、意味のない危険な行動となってしまいます。ペテロは人前で目立つことするのが好きだったと非難する人もいますが、主は、ペテロを叱るどころか、自分のところに来るよう励ましました。主の約束は、主による容認を示します。
人は舟の中のほうが安全と考えるかもしれません。主の後を追って水を上を歩く必要などないのです。それでも、私たちは信者の人生は、信仰の人生であることをあることに気づくべきです。集団の枠組みの中で、信仰を持ったり、働かせたりするのは簡単なことですが、個人で信仰を持ち続けるのは大変です。実際のところ、信仰とは個人的なものです。ペテロは信仰によって水の上を歩きました。そして、これは主の力で許されたのです。
信者は、特別であること、そして、主にまず従うとという点でペテロを真似るべきです。『来なさい、と言われた(29節)』。主の言葉は約束です。主の約束がなければ、意味のない危険な行動となってしまいます。ペテロは人前で目立つことするのが好きだったと非難する人もいますが、主は、ペテロを叱るどころか、自分のところに来るよう励ましました。主の約束は、主による容認を示します。
人は舟の中のほうが安全と考えるかもしれません。主の後を追って水を上を歩く必要などないのです。それでも、私たちは信者の人生は、信仰の人生であることをあることに気づくべきです。集団の枠組みの中で、信仰を持ったり、働かせたりするのは簡単なことですが、個人で信仰を持ち続けるのは大変です。実際のところ、信仰とは個人的なものです。ペテロは信仰によって水の上を歩きました。そして、これは主の力で許されたのです。
2015年4月17日金曜日
4月17日
そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した[使徒12:1,2]
今日、多くの人がパウロの書いた素晴らしい手紙を喜んで読み、ペテロの偉大な働きを聞き、ヨハネの見た驚くべき啓示を知ります。しかし、パウロに仕えたヤコブのことは簡単に忘れてしまいます。しかし、この事実を見落とすことはできません。ヤコブが身をもって現すものが、神のすべての働きの土台となっています。
ヤコブの苦しみが存在しなければ、主は満足されません。主が、この世界に入って来られたその時、私たちの主イエスは、拒まれた者の側に立っていたからです。それゆえ、主とともに苦しみを味わわなければ、私たちがどれだけ善行を積もうと、主の心を満たすことはできません。ペテロ自身がかつて、こう宣言しました、『このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい』(1ペテロ4:1)。苦しむことによってはじめて、私たちはあらゆるものを克服し、神の永遠の目的を達成できるのです。
今日、多くの人がパウロの書いた素晴らしい手紙を喜んで読み、ペテロの偉大な働きを聞き、ヨハネの見た驚くべき啓示を知ります。しかし、パウロに仕えたヤコブのことは簡単に忘れてしまいます。しかし、この事実を見落とすことはできません。ヤコブが身をもって現すものが、神のすべての働きの土台となっています。
ヤコブの苦しみが存在しなければ、主は満足されません。主が、この世界に入って来られたその時、私たちの主イエスは、拒まれた者の側に立っていたからです。それゆえ、主とともに苦しみを味わわなければ、私たちがどれだけ善行を積もうと、主の心を満たすことはできません。ペテロ自身がかつて、こう宣言しました、『このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい』(1ペテロ4:1)。苦しむことによってはじめて、私たちはあらゆるものを克服し、神の永遠の目的を達成できるのです。
2015年4月16日木曜日
4月16日
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです[マタイ26:28]
血と契約の関係とはどのようなものでしょうか?こう言えるかもしれません、血は土台であるのに対し、契約は書面に過ぎない、血は契約の土台を成すものであり、契約は、血の中に立てられた文書を現します。血がなくては、契約が発足することも、それが効力を持つことも、決してありません。神は契約の中に、私たちが受け継ぐようにとくださる物をすべて示し、そして、この契約を主イエスの血で封印されました。私たちが霊的な継承に入るのは、主イエスの血のこの新しい契約があってこそなのです。
血と契約の関係とはどのようなものでしょうか?こう言えるかもしれません、血は土台であるのに対し、契約は書面に過ぎない、血は契約の土台を成すものであり、契約は、血の中に立てられた文書を現します。血がなくては、契約が発足することも、それが効力を持つことも、決してありません。神は契約の中に、私たちが受け継ぐようにとくださる物をすべて示し、そして、この契約を主イエスの血で封印されました。私たちが霊的な継承に入るのは、主イエスの血のこの新しい契約があってこそなのです。
2015年4月15日水曜日
4月15日
彼ら(ふたりの御使い)は彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」[ヨハネ20:13]
マリアは主が復活するとは考えてもいませんでした。マタイによる福音書の記録によると4回、主は弟子たちに伝えていました。死んだ後、ご自分が死者の中からよみがえると。しかし、マリアはそのことを全く知りませんでした。あの日、彼女の希望はすべて打ち砕かれてしまったのです。だからこそ、彼女はただ、主のなきがらを求めました。彼女は何も知らなかったのに、主は自分自身の御姿をはっきりと示されました。主に対する願いがあまりに強かったからです。
主はマリアの前に現れました。それは、主に対する飢え渇いていた心を満たすためです。そこにあったのは、主のことでいっぱいになった心でした。それゆえに、主は彼女を求めたのです。こう言わせてください。私たちが、何かを知らなくても、そのせいで、ひどい目にあうことはありません。しかし、主を動かすような気持ちを持っていることは、もっとも大切です。
マリアは主が復活するとは考えてもいませんでした。マタイによる福音書の記録によると4回、主は弟子たちに伝えていました。死んだ後、ご自分が死者の中からよみがえると。しかし、マリアはそのことを全く知りませんでした。あの日、彼女の希望はすべて打ち砕かれてしまったのです。だからこそ、彼女はただ、主のなきがらを求めました。彼女は何も知らなかったのに、主は自分自身の御姿をはっきりと示されました。主に対する願いがあまりに強かったからです。
主はマリアの前に現れました。それは、主に対する飢え渇いていた心を満たすためです。そこにあったのは、主のことでいっぱいになった心でした。それゆえに、主は彼女を求めたのです。こう言わせてください。私たちが、何かを知らなくても、そのせいで、ひどい目にあうことはありません。しかし、主を動かすような気持ちを持っていることは、もっとも大切です。
4月14日
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てたのです[コロサイ3:9]
必要なものより少なく求めれば、嘘をついていることになります。うぬぼれた態度もまた嘘です。正直な人になろうとしてみましょう。それが、どれだけ難しいことか分かるでしょう。広東省に住む私の友人は、ある日、山賊につかまり、有り金を全部出すよう要求されました。クリスチャンとしては、彼は金を持っていないと嘘をつくことはできないと思いました。かと言って、お金を持っているといったら、山賊に身包み剥がされ、何も残らないでしょう。結局、彼はお金を持っていることを認め、ポケットにあったお金をすべて盗られてしまいました。このような緊急の場合には、自分を守るために嘘をつくことは簡単だったかもしれませんが、主に真実を尽くそうとしたために、彼には嘘をつくことはできなかったのです。
必要なものより少なく求めれば、嘘をついていることになります。うぬぼれた態度もまた嘘です。正直な人になろうとしてみましょう。それが、どれだけ難しいことか分かるでしょう。広東省に住む私の友人は、ある日、山賊につかまり、有り金を全部出すよう要求されました。クリスチャンとしては、彼は金を持っていないと嘘をつくことはできないと思いました。かと言って、お金を持っているといったら、山賊に身包み剥がされ、何も残らないでしょう。結局、彼はお金を持っていることを認め、ポケットにあったお金をすべて盗られてしまいました。このような緊急の場合には、自分を守るために嘘をつくことは簡単だったかもしれませんが、主に真実を尽くそうとしたために、彼には嘘をつくことはできなかったのです。
2015年4月13日月曜日
4月13日
また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです[2コリント5:15]
はっきりと認めましょう。人間のわがままは、祈りにおいても、他のあらゆる面と同じように、明白に現れます。私たちの意見、欲求、計画、追求はどれほど強いことでしょう!すべての面において、自己否定を実行に移さなければなりません。これは、行動だけでなく、祈りにおいても同じくらい重要です。このことを念頭においてください。私たち、購われた者は、主のために生きるべきです。私たちのために死に、今は、私たちのために生きている主のために。我々はすべての面で主のために生きるべきであって、自分のために何を求めてはならないのです。
私たちはよく、祈りとは、自分に何が必要かを語る出口と考えてしまいます。つまり、神に助けを求める叫びであると。私たちには分かっていないのは、祈りとは、神ご自身の必要が満たされるように、神に願っているということです。神が持つお考えは、祈りを通じて信者がそれぞれの目的を達成することではなく、むしろ、神が信者の祈りを通して、ご自分の目的を成し遂げることと理解するべきです。
はっきりと認めましょう。人間のわがままは、祈りにおいても、他のあらゆる面と同じように、明白に現れます。私たちの意見、欲求、計画、追求はどれほど強いことでしょう!すべての面において、自己否定を実行に移さなければなりません。これは、行動だけでなく、祈りにおいても同じくらい重要です。このことを念頭においてください。私たち、購われた者は、主のために生きるべきです。私たちのために死に、今は、私たちのために生きている主のために。我々はすべての面で主のために生きるべきであって、自分のために何を求めてはならないのです。
私たちはよく、祈りとは、自分に何が必要かを語る出口と考えてしまいます。つまり、神に助けを求める叫びであると。私たちには分かっていないのは、祈りとは、神ご自身の必要が満たされるように、神に願っているということです。神が持つお考えは、祈りを通じて信者がそれぞれの目的を達成することではなく、むしろ、神が信者の祈りを通して、ご自分の目的を成し遂げることと理解するべきです。
2015年4月12日日曜日
4月12日
恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです[使徒27:24]
本当に神の約束を持つ者であれば、その振る舞いはいつも、安らかで穏やかです。その人にとって、神が約束されたら、もはや実現されたのと同じことだからです。パウロが、ローマへの旅の途中、海の上で危険に襲われたとき、彼は仲間の乗客の間に立って、こう宣言することができました、『皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています』。さらに、続きを見ると、『こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた』。これが、神の約束に対するパウロの態度でした。これは乗船していた仲間たちに深い印象を与え、結局、『そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった(36節)』のでした。
本当に神の約束を持つ者であれば、その振る舞いはいつも、安らかで穏やかです。その人にとって、神が約束されたら、もはや実現されたのと同じことだからです。パウロが、ローマへの旅の途中、海の上で危険に襲われたとき、彼は仲間の乗客の間に立って、こう宣言することができました、『皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています』。さらに、続きを見ると、『こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた』。これが、神の約束に対するパウロの態度でした。これは乗船していた仲間たちに深い印象を与え、結局、『そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった(36節)』のでした。
2015年4月11日土曜日
4月11日
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい[ルカ15:22]
この放蕩息子は、父親に語る言葉を考えていました。しかし、彼は父の愛に動かされ、考えていた言葉、『雇い人のひとりにしてください』、これを最後まで言うことができませんでした。慎重に文脈を読み取ると、父親にそれを言う機会を与えられなかったことがわかります。父はもう十分に聞いたのです。息子が語り終えるのを待とうともせずに、急いで一番良い着物を持って来てこの子に着せ、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせるようしもべたちに命じたのです。
こうして救われるものを見れば、神があなたや私をどのように扱うか、明らかです。それは、私たちが考えるような形とはまったく違います。私たちが考えたとおりなら、せいぜい、末永く使用人でいられる程度でしょう。私たちは、自分自身を罪人として考えますが、神は、私たちは子供であると宣言しています。私たちは、自分はいずれ滅びると思っていますが、神は私たちを食卓に座らせてくれます。神の恵みについて、多く語りすぎて危険などということは絶対にありません。私たちは、息子と呼ばれる資格はないと思っていますが、神がされることは、私たちの想像をはるかに超えているのです。
この放蕩息子は、父親に語る言葉を考えていました。しかし、彼は父の愛に動かされ、考えていた言葉、『雇い人のひとりにしてください』、これを最後まで言うことができませんでした。慎重に文脈を読み取ると、父親にそれを言う機会を与えられなかったことがわかります。父はもう十分に聞いたのです。息子が語り終えるのを待とうともせずに、急いで一番良い着物を持って来てこの子に着せ、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせるようしもべたちに命じたのです。
こうして救われるものを見れば、神があなたや私をどのように扱うか、明らかです。それは、私たちが考えるような形とはまったく違います。私たちが考えたとおりなら、せいぜい、末永く使用人でいられる程度でしょう。私たちは、自分自身を罪人として考えますが、神は、私たちは子供であると宣言しています。私たちは、自分はいずれ滅びると思っていますが、神は私たちを食卓に座らせてくれます。神の恵みについて、多く語りすぎて危険などということは絶対にありません。私たちは、息子と呼ばれる資格はないと思っていますが、神がされることは、私たちの想像をはるかに超えているのです。
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